ぷりぷりブログ

仲良し夫婦ブログ。ラルクと料理と妊活と。

生後2ヶ月、授乳間隔が2時間でツライ!

こんにちは、母乳育児真っ只中、新米母さんのぷりぷりの妻です!

寝不足です😇

2ヶ月になった息子の授乳間隔、ねんねで日々悩んでいます。
というのも…
授乳間隔が2時間になってしまった。(デデーン)

母乳育児をしたことがある人には分かるだろう、この絶望感…。

1ヶ月頃までは3時間間隔、1ヶ月半頃には午前中2時間で昼過ぎから3時間間隔という日々だったのですが、2ヶ月現在、日中は2時間間隔絶賛頻回授乳フェア開催中です。(そんなフェアは要らなかった…)

具体的には、
・お腹が空いて起床!

・授乳(両側合わせて10〜12分程度)

・ご機嫌で遊びタイム

・あくびが出る(起きてから1時間〜1時間半頃)

・ねかしつけ

・昼寝30〜40分

・お腹が空いて起床…

以下繰り返し…
という感じです。

おっぱいが足りないからすぐに起きるのか?とも考えたのですが、
起きている間はニコニコでご機嫌
12分ぐらい飲むと自分で口を離して飲むのをやめる
15分以上飲ませ続けると大抵吐き戻す
(ゴボッと大量にいきます…着替えさせなきゃ…また洗わなくちゃ…の絶望感)

という状況。
このペースを守っていれば、入眠もスムーズで寝ぐずりもなくすんなり眠れるようなので、きっと本当に1時間半起きて30分寝る2時間ペースがちょうど良いのでしょう…。

ちなみに、最近のねんねはこんな具合です。



赤枠で囲った日一番ご機嫌で泣かずに過ごせた日です。

見事な2時間間隔…🤣

それでも、夜はまとまって4〜5時間寝てくれていたので頑張れていたのですが、最近になって夜中でも2時間で起きてきてしまうことがあり、いよいよ絶望感が高まってきました。

自治体の保健師さんに相談したところ、
夜だけミルクを足してみたら?と提案されましたが、話をするうちにやっぱり
「いや、母乳だけで量は足りている…」
「体重の増え方は極めて順調…」
「そういうリズムの子なんですね…」

と言われ…

最終的に「月齢が上がれば胃の容量がぐっと大きくなって、一度に飲める量が増えたら間隔があいてくるお子さんもいますので…」と曖昧に励まされて終わりました😂

「2時間間隔じゃお母さん大変でしょ〜?」とかなり同情され、夜だけミルクにして、ご家族に代わってもらっては?という提案も頂いたのですが、平日はやっぱり夫は仕事があるし、孤独に闘うしかない…というのが現実です。

これから月齢が上がった頃に、この魔の2時間間隔終わっているのか、はたまた終わりなどないのか(考えただけでしんどい)。

状況に変化があったらまたご報告したいと思います。

以上、ぷりぷりの妻でした!

まったね〜🍌

BPDが"OOR"だった息子の、その後。

こんにちは。
1ヶ月の息子が日中寝てくれなくて疲弊しているぷりぷりの妻です。

眠い…🥲

今日は、健診時にBPDが"OOR"だった息子のその後についてお話しします。

頭の成長が早いと言われていた

妊娠中期頃から、妊婦健診のたびに「頭が大きめです」と言われ続け、36週についにBPD(頭の大きさ)がOOR(out of range=範囲外)になった我が子。
その他の値はいつもぴったり週相当ぐらいだったのに、頭だけがぶっちぎり状態
「頭が大きな賢い子が生まれるかしら?」なんて冗談を言いつつも、やはり心配でした。

happyandjasmine.hatenablog.com

また「頭が大きい子は頭の成長に合わせて生まれるから予定日よりも早めに出てくる」なんて話をネットで拾ってしまったものだからもう大変。
正産期に入ったら、いつ生まれてくるのかとかなりソワソワしていました。

頭位31cmで誕生

予定日よりも少しだけ早く、39週4日に出産!
生まれた我が子を見てみると…

あれ、別に頭大きくなくない?

っていうか、小さい…よね…?

あとで母子手帳を確認すると、誕生時の頭位は31cm
成長曲線の一番下の方で、むしろ小顔の部類でした。

頭位だけではなく、体重も健診時2800gと聞いていたのが、産んでみたら結局2500gの小粒な赤ちゃんで拍子抜け。

健診時の値って当てにならないのね😂

頭の形で誤差が出た?

OOR(範囲外)と判定されるほど頭が大きいと想定された息子の頭が、むしろ平均以下ぐらいに小さかったのはなぜなのでしょうか。

誤差にしてもかなり大きな差があるように思えます。

私たち夫婦なりに考えた原因は、頭の形ではないか?ということ。

息子はどちらかというとホリが深い顔立ちで、額が少し前に突き出ています
そして、側頭部が左右に張り出していて、いわゆる"ハチが張っている"ような頭の形です。

測り方によっては、大きな数値が出そうな感じもする、というのが私たちの結論です。

頭の形はパパそっくり!

息子の頭の形は、完全に"夫のコピー"と言えるぐらい夫に似ています。
夫は小顔な方ですが、頭がハチの張った形なので、BPDがOORと判定された人は両親の頭の形を確かめてみると良いかもしれません

取り越し苦労かも!

また、エコーの段階で額や鼻梁の出っぱったホリの深い顔立ちなのもなんとなく予想がついていました。
両親の顔立ちも参考になるような気がします。
(うちは、夫が額の出っぱったホリ深顔です)

BPDがOORでも産める!

「頭が大きいなら、ちゃんと下から産めるかしら…」と心配していましたが、うちの子はそんな心配をよそに平均以下の小さな頭で生まれてきました。
これから出産される妊婦さんは健診時の値を気にしすぎず、出産に臨まれると良いかと思います。

ただ、私は最終的に緊急帝王切開になったので結局下からは産めなかったのですが…😇

私が緊急帝王切開になった経緯は、こちらの記事をご覧ください。

happyandjasmine.hatenablog.com

1ヶ月健診では

ちなみに、1ヶ月健診では頭位が31cm36cmに急成長!
頭が小さく生まれても、帽子類はあっという間にサイズアウトしてしまうのだなと実感しました。

1ヶ月で5cmも成長するとは!

衣類もそうですが、赤ちゃんが身につけるものはあらかじめ買い込むよりも、必要になったときに買い足す方が経済的ですね。

以上、ぷりぷりの妻でした!

まったねー🍌

前期破水→陣痛促進剤→緊急帝王切開になった私の初産の記録【後編】

前期破水からの緊急帝王切開だった私の初産の記録、後編は手術開始前〜術後(産後)までの話です。
今でこそ少し元気になりましたが、帝王切開を経験して体にも心にも傷が残った私の思いを出来るだけ詳細に書き残したいと思います。

帝王切開の手術について知りたい方や、身近に出産を控えている人がいらっしゃる方、私と同じように産後を迎えられたお母さん達に読んでいただきたいです。

破水して入院〜緊急帝王切開が決定するまでの話は前の記事で紹介しています。↓↓
破水スタートからの緊急帝王切開だった私の初産の記録【前編】 - ぷりぷりブログ

13時頃、手術の支度を済ませる

夫が到着した時点で時刻は13時過ぎ。
夫も私と同様に手術についての説明を受け、同意書にサインをしたということでした。
緊急だったので、手術の開始時間がすぐには決まらず、少しの待ち時間がありました。
その間、陣痛が来るたびに腰をさすって一緒に呼吸をしてくれた助産師さん。
苦しそうな私に「今日がお誕生日ですよ」「あと少しですからね」「よくがんばったよ」と声をかけてくれるその声かけで、ボロボロと涙があふれて止まりませんでした。
「先にお腹の毛を処理しておきますからね」助産師さんがシェーバーで私の下腹部の毛を取り除いて。

「あとでここにテープを貼らなくちゃいけないからね」

「お母さんの勲章だからね」

「一緒にお風呂に入ったら、あなたはここから出てきたのよ〜って話してあげてね」

子供と過ごす未来をイメージして、手術へ向かう覚悟を自分なりに固めていました。
手術自体への恐怖よりも、家族がどう思うのかの方が怖かったように思います。

13時半、手術室へ移動

13時半頃、手術開始の目処がたって、車椅子に乗せられ、手術室へ移動することになりました。
決まってからは本当に早かったです。
手術前、最後に口にしたのはペットボトルにほんの少し残っていた麦茶でした。
お昼ご飯は食べられず、術後6時間も何も食べられないとのことで、夕飯も食べられないことが分かっていました。

分娩室から手術室へ向かう通路に、夫が待っていました。
本来なら、コロナ対策で出産前も出産後も退院までは会えないはずだった夫。

何を言われるか怖かったのと、何を言ったらいいかわからなくて、会いたかったはずのその顔を直視することができませんでした。

「大丈夫だからね」

「落ち着いて」

私の肩に手を置いて、夫はそんなふうに言いました。
夫の力強い励ましの言葉を聞いても、私は頷くのがやっとの状態でした。

手術室の前の廊下で、麻酔科の先生から麻酔についての説明を受けました。
夫と別れてから、また涙が溢れ出していたのと、陣痛が来るたびに呼吸に集中しないと苦しかったのとで、何度も中断しながら話を聞きました。
どのような麻酔を使うのか、どんな副作用があるのかなど丁寧に話してくださり、同意書にサインをしました。

14時前、手術開始、麻酔

手術中は、もう何もかもが現実ではないみたいでした。
手術室へ入り、あれよあれよという間に台の上へ寝かせられ、タオルをかけられ、服を脱がされ、両腕は広げた状態で固定されました。
室内は煌々と照らされて明るく、お医者さんや看護師さんの会話も妙に明るい調子でした。
先生方があれこれ忙しく準備をしながら、私の周りで看護師さん達が手術に関係ある事無い事、代わる代わるいろいろな話をして、涙でぐちゃぐちゃの私の緊張をほぐそうとしてくれたのがわかりました。

最初は麻酔でした。
横向きに寝かせられ、背中を丁寧に消毒して、背中の真ん中あたりに針が刺さったのがわかりました。
鋭い痛みの後に、スーッと背中に冷たいものが流れ込んでくる感覚。
その後は仰向けになって、時間と共にどんどん体がじんわりと温まり、正座をした後の脚のような痺れが胸より下全体に広がっていきました。
麻酔の効きを確認するために先生がお腹や胸の下にアルコール綿で触れました。

「触られている感覚は分かると思いますが、冷たくはないですか?」

確かに冷たさは全く感じませんでした。

「ここはどうですか?」

と今度は鎖骨下あたりを触られると、しっかり冷たい感覚があり、麻酔が効いている部分とそうでない部分の違いがはっきりと分かりました。
もう足なんか指一本動かせませんでした。

14時半、開腹と誕生

手術が始まってから私の頭の辺りに立っていた看護師さんに「今の状況、聞きたいですか?」と確認され「聞くのは怖いので」と断りました。
「知りたい」と答える人もいるのだそう。
自分の臆病を実感しましたが、私にそんな余裕はありませんでした。

触られている感覚は残るとのことで、お腹を切られているのも分かってしまうのか、とビクビクしていましたが、そんなことは分かりませんでした。
ただ、体をぐいぐい引っ張られているような感覚だけが強くあって、自分で制御できなくなった下半身が左右に振れているような感じがしました。
それから、
助産師さんの「もうすぐよー!」
お医者さんの「出ます!」
の声が聞こえて

「「「おめでとうございます!」」」

手術室中の人が声を揃えてそう言ったあと、数秒遅れて我が子の泣く声が聞こえました。

手術が始まる時になんとか引っ込めたはずの涙が、また私の目尻を伝っていました。
ただ、嬉しかった。

我が子を抱き上げた助産師さんが、一瞬だけ私の方へその姿を見せにきてくれて「綺麗にして戻ってくるからね」と足早に去っていきました。
同じ手術室内で、我が子は体の外をきれいにしてもらったり、体内の羊水を吸引してもらったりしていて、その間中、力一杯泣く声が聞こえていました。

元気に生まれてきたんだ。
無事に産んであげられたんだ。

よかった。
本当によかった。

さまざまな処置を終えた助産師さんが、再度息子を抱いて私の枕元へ来てくれました。
手術中だから胸に抱いてあげることはできなかったけれど、助産師さんが顔と顔が触れ合う距離まで近付けてくれました。

「かわいい」

思わずそう呟いていました。
涙が溢れて止まりませんでした。

本当に辛かったのは手術後半

助産師さんは「先に母子センターに戻ります」と告げて、我が子を連れて手術室を出て行きました。
手術室を出れば、夫が待っています。
息子と夫の対面に思いを馳せました。

しかし、私の手術は続きます。
いわゆる後産と、開いたお腹を閉じる作業が残っていました。
産声を聞くまでは期待もあってか、何ともなかったのですが、手術の後半戦はかなり堪えました

まず、胸に強い圧迫感が出始めて息が苦しいと感じました。
本当なら身をよじって苦しみから逃れたいのに、麻酔が効いているので体が少しも動かず、苦しみを真正面から受け止めるしかありませんでした
感覚が残っている胸から上の部分だけで、ガタガタ震えていました。
その後はとにかく気持ち悪くて、苦しくて、手術はいつまで続くのか、このまま死んでしまうのではないかと本気で心配をしました。
「胸が苦しい」「気持ちが悪い」と必死で訴え、気持ち悪さを除く薬と眠くなる薬の点滴を入れてもらいました。
薬が効くまでの間も本当に長く感じて「こんなに辛いなら二度と妊娠、出産なんてするものか」「こんなことは二度とできたものではない」などと考えていました。

世の中の全てのお母さんを本気で尊敬した瞬間でした。
私を含め二児を出産した自分の母に対する思いも、この手術の苦しみを経験したことですっかり変わりました。

苦しむだけ苦しんだあと、だんだん薬が効き始めて胸がスーッと軽くなりました。
ぼんやりする頭で「薬ってすごいなぁ…」「これが医学の力なのかぁ…」なんて、妙に冷静に考えたことが記憶に残っています。

手術を終えて

手術後の記憶は曖昧です。
手術室を出て、母子センターへ向かう道中で夫に会うことができ、少し会話をしたはずですが、薬のせいか細かいことはあまり覚えていません。
部屋に戻ってから助産師さんが私のカメラで動画を撮影してくれたと聞きましたが、それも見ることなくすぐに寝入ってしまいました。
足を全く動かせず、完全に寝たきりの状態で、私の場合は「産後」というよりも「術後」なのだと実感しました。

翌朝だったか、執刀医の先生が診察をしてくださった後、最後にかけられた言葉が心に残っています。

「入院されていてよかったです」

その言葉が全てだったのだと思いました。
もしも、健診が別の日だったら。
破水に気づかなかったら。
入院していなかったら。
私の赤ちゃんは、生まれてこれなかったのかもしれない。

きっとそうやって、少しの違いで、辛い思いをした妊婦さんもいるのだと思います。

私は幸運だった。
破水が分かって緊急入院をしたから、先生や助産師さんや看護師さんたちが丁寧に見守り、向き合ってくださった。

だから、我が子は生まれてくることができた。
本当にありがたいことだった、と思いました。

やっぱり自然分娩で出産したかった

とはいえ、産後すぐの私の心は傷ついていました
どうしてこうなったのだろうと思うだけで涙が止まらなくなり、カーテンで仕切られたベッドでお腹の傷の痛みに耐えながら泣いていました。
自分の一つ一つの行動を振り返り、あれがよくなかったのではないか、これがよくなかったのではないかと、自分を責める気持ちばかり膨らんでいました。

夫とは「子供は二人欲しい」と家族計画を語り合っていました。
具体的な時期まで考えていました。
それなのに手術中、あまりの苦しさに私ははっきりと「もう二度とこんなことはできない」と思ってしまったのです。
死を覚悟するほどの恐怖と苦しみは、あの時初めて味わいました。
手術が終わってからも、夫にどう伝えたらいいだろうと、そんなことばかり考えていました。
手術前の不安や葛藤、手術中の苦しみ、術後の痛みは私にとって大き過ぎたのです。
夫に伝えたら、失望されるだろうか。
もう愛してはくれないのではないか。
考えれば考えるほど、悲観的な想像ばかり膨らみ、この先の未来が怖くなりました。

次の出産があるならば、帝王切開になるでしょう。
陣痛はないかもしれませんが、それでもこの手術に私はもう一度耐えられるだろうか、と自問自答しました。

そして、やっぱり自然分娩、経膣分娩を経験したかったとも思いました。
陣痛だけでも、とても辛かったけれど。
どうしても湧き起こる「私がしたのは"本当の出産"ではなかった」という思いが、自分の心を傷つけました。
"安産"じゃなかった。
"いいお産"じゃなかった。
母や周りの人たちが当然のように経験してきたことを、私はやり切ることができなかったのだ劣等感自己否定感のようなものに苛まれました。
とにかく、途中で頑張ることを放棄させられたような気がして、悔しかったのです。

そして、帝王切開になったことを知った家族、親戚からも、そのように責められるのではないかと恐怖に怯えていました。
何度も執刀医の先生からかけられた「入院されていてよかったですね」という言葉を思い出しては、これでよかったのだ、私たち親子にとってはこれが最善のお産だったのだと、自分に言い聞かせて納得しようとしました。

お産のことを考えては涙が出てしまうという状態は、退院してからもしばらく続きました。

体の回復と日々の喜びの中で

退院してすぐは、一度寝転ぶと寝返りも打てないし、腕の力を使わないと起き上がれないし、くしゃみでもしようものならもはや命懸け、というような状態でした。
階段を昇り降りすることすら大変で、自分の日常生活さえままならないのに、赤ちゃんのお世話なんて本当にできるのだろうかと心配でたまりませんでした。
授乳をすれば、傷口のある子宮が収縮して、それはそれは痛かったです。

でも、育児をする中で自然に体を動かしていれば回復も早く、入院中よりも急激にできることが増えていく感覚がありました。
体が元気になれば、自然と涙も出なくなりました。

そして、何よりも生まれたばかりの息子の可愛さが励みになりました
何をしていても可愛い。
幸いとてもよく寝てくれる子で、お世話が想像していたほど大変ではなかったことも、術後の私にとってはありがたいことでした。

今すぐに二人目を、と言われてしまうとさすがに慄いてしまいますが、月日が経てばまた妊娠、出産に前向きになれる日が来るような気がしています。
もちろん、手術は怖いのですが、それ以上に赤ちゃんは可愛いです。

偶然が重なり合って帝王切開になった

私が帝王切開になったのは、

・早々と破水してしまったこと
・そのせいで羊水の量が少なくなったこと
・へその緒が首に2周巻き付いていたこと
・破水の影響か炎症の値が高かったこと
・陣痛促進剤を使ってもなかなか子宮口が開かなかったこと
・子宮口が全開大になるまで待てない状況だったこと

様々な要因の重なり合いの中で、帝王切開という選択がなされました。
最終的には

前期破水(陣痛開始前に羊水が流れ出ること。妊婦と胎児の感染リスクが高まる)
微弱陣痛(陣痛が弱く、分娩が進行しない状態のこと)
胎児機能不全(分娩中に胎児の状態に正常では ない所見が存在した)

という三つの診断がついていました。

私の経験は決して特別ではない

自分が緊急帝王切開を経験してからネット上を調べてみると、私が経験したようなことは決して珍しくないことなんだと気づいて驚かされます。
当然、私以上に大変な思いをして出産している人もたくさんいるし、友達にはあっけらかんと帝王切開だったからさぁ〜」なんて話す子もいます。
本当に、驚くべきことだと思います。

出産というものを経験して、本当の意味で初めて分かったことがたくさんありました。

世界中の全ての命の尊さ。
分かったつもりでわかっていなかった気がします。

なぜなら、全ての命の誕生に物語があるに違いありません

我が子のように、へその緒が絡んで、破水して、緊急帝王切開で生まれた子だって、何十億もある命の物語の中の一つでしかなくて。
決して特別なものではありません。

きっと、全てのお母さんが我が子の出産についての物語をもっているのだと思います。

そして思う。
世界中、全てのお母さんは、本当に偉大だと。

そして、出産というものには、その喜びの裏に女性だけが背負う大きなリスク、恐怖があるということも。

出産にリスクが伴うことは分かっているつもりでした。
でも、甘かった
「出産は命懸け」と言葉では見たことがあっても、深く考えていませんでした。
出産の"光の部分"しか見えていなかったと、振り返ってみて思います。

嬉しいばかりではない。
出産したことがなかった自分には、分からなかった。
ましてや男性には、どんなに説いても分かるまい、と思いました。
これは蔑視でもなんでもなくて、純然たる事実だと思います。

私の父も、私の夫も、本当の意味では分かっていないと思います。

産後も、夫婦で協力していくために

退院後、夫からすぐに二人目の話を持ち出されたときに、すごく温度差を感じました。
お産の大変さも、きっと言葉では説明し切れない。
私にとっては、文字通り「決死の覚悟」だったのです。
夫とは、子供が誕生した喜びは分かち合えても、そこへ向かう恐怖や痛みや不安や葛藤は共有できないのだと思いました。

また、これから始まる一人目の育児に対しての不安も、夫は私ほど強くは感じていないのだな、とも思いました。
今目の前にいるこの子をきちんと育てていけるのか、その自信もないのに次の子のことなんて考えてはいられない、というのが産後の私の正直な思いでした。

かく言う私も、一人目を産む前から二人目のことを考えていました
子供は二人がいいなとか、兄弟は何歳差がいいなとか。

産んでいないからこその無邪気さでした。

夫は、産後の今も無邪気に二人目への思いを語れる点で、やっぱり私とは違うのだと痛感しました。

でも、だからといって夫を責めてはいけないとも思います。
どうあがいても、出産は女性にしかできない経験だから。
本当の意味で分かりあうことは難しいということをお互いに理解した上で、関わり合っていくしかないのだと思います。

わがままなようですが、男性や、出産を経験していない女性には、簡単に分かったようなことを言わないでほしいと思ってしまう一方で
分からないということを理解した上で、分かろうとすることを諦めず、寄り添う姿勢は見せてほしいとも思います。

私は、夫に対して手術に至るまでの経緯や、手術中のこと、術後に毎日泣いていたことなど、一生懸命話して伝えました。
「二人目なんて考えられない!」と思ったことも伝えました。

「どうして分かってくれないの!」と思わずに、分かってもらうための努力をしなくちゃと思ったからです。

でも、産後すぐには言えなかったと思います。
いつかまた出産について前向きになれる日が来るかもしれないと思えるぐらいに心が回復し、出産のことを思い出しても涙が出なくなるまでは、言えませんでした。
「辛かった」「苦しかった」「不安だった」全部過去形で話せるようになるまでは無理だった。

産後、息子があまり泣かずよく寝てくれる子だったこと自分自身の身体の回復が割合早かったことも幸いして、私は心の健康を取り戻すのも比較的早い方だったと思います。
だからこそ、わりと早い段階で夫に気持ちを話すことができ、それでスッキリした部分も大きかったと思います。
産後しばらく経っても心身の疲弊が続くお母さんにこそ、周囲の人のサポートが絶対に必要だと思いました。

赤ちゃんはいいぞ

息子が生まれて、一番に思うことは

「赤ちゃんはかわいい」

これに尽きます。

出産の苦労話を散々書いてきましたが、やっぱりそれ以上の喜びがあるのもまた事実。
息子のおかげで、毎日が充実しています。
毎日どんどん大きくなる息子から目が離せないし、だからこそ今を大切にしようと思えます。

今しかない今を、楽しみたい。

夫と息子と、3人で。

前期破水→陣痛促進剤→緊急帝王切開になった私の初産の記録【前編】

これまで妊娠中の記録をポツポツとブログに書き残していましたが、この度第一子となる息子を出産しました。

今、健やかに寝息を立てる息子の横で、ブログを書いています。

私のお産は、"無事出産"と言って良いか迷うようなものでした。

というのも、病院で内診中に破水が分かり、そのまま家に帰れないまま緊急入院前駆陣痛から陣痛促進剤を経て本陣痛までおよそ24時間耐えてからの緊急帝王切開という、いわゆる「フルコース」だったからです。

今は心の健康も体の健康も少しずつ取り戻している感覚がありますが、手術が決まってからは精神的に参ってしまい泣き通しで、術後も自分のお産を振り返っては涙が止まらなくなる有様でした。

毎回の妊婦健診では、特に大きな問題もなく元気だった息子。

唯一、臍帯巻絡といって、首にへその緒が2回巻き付いていることだけが気がかりではありましたが、それでも通常は経膣で産めると聞いていました。

今回帝王切開になったのはそれだけが原因ではありませんでしたが、そのことも含めて私の出産の記録を残しておきたいと思います。

出産の予感があった

私の出産は、39w3dに始まりました。
その日は、予定日前最後の妊婦健診
なんとなく前日からお腹の張りを感じていた私は、前夜から入院のための荷物をまとめて備えていました。

コロナの影響で診察の付き添いはNGですが、母が「いざ陣痛が来て入院となった時のために病院の中を一度見ておきたい」とたまたま一緒に来ていました。

"虫の知らせ"だったのでしょうか。

11時頃、内診中に破水

母を待合室に残して、一人診察室へ。
エコーを見て「元気ですね」と言われホッとしたのも束の間、なんとなく先生が時間をかけて慎重に診ているような気がしました。

「羊水量が少し少ない感じもありますが…とりあえず内診をしましょう」

時間がかかっていたのは、羊水の量を確認するためだったよう。
少し心配になりながら内診台にあがり、グリグリの痛みに耐え、ようやく終わりと言う時。
先生の手が引き抜かれたのと同時に、生暖かいものが体を伝うのが分かりました。

「破水していますね」

先生によると今破水したと言うよりも"こっそり破水していた可能性がある"とのこと。
羊水の量もそのせいで減っていたのかもしれないとのことでした。

そのまま緊急入院に

「このまま入院になります」

破水したら入院と分かっていたとはいえ、まさかこんなタイミングになると思わず、静かに動転していました。
まさか健診で病院へ来たきり、うちへ帰れないなんて。

「羊水量が少なめだったので入院を勧めるか悩んでいたのですが、こちらが決断する前に答えが出てくれた感じです」

先生に穏やかにそう言われて、急に入院するという現実をなんとか受け止めました。

「ただ、まだ子宮口が閉じている状態です。
自然に陣痛が来てくれたら良いのですが、破水しているのであまりのんびりはできないかもしれません。
今日、この後は陣痛を待ってみて、明日まで陣痛が来ないようなら誘発分娩、それも難しければ帝王切開まで考えなければいけないと思います。」

…この時点である程度運命は決まっていたのかもしれない、と今は思います。
でもこの時はまだ自分が自然分娩するものだと思い込んでいました。
急な破水だったためか、看護師さんに「おむつでごめんね」と言われながら大人用の巨大なオムツを手渡され、トイレで装着。
車椅子に乗せられ、そのまま母子センターへ案内されて入院となりました。
母が待合室で待っていてくれたので、状況を伝えることができ、母子センターの前で手を振って別れました。
この先は退院まで一人だったのですが、最後に母の顔が見られてよかったと思いました。
もしも一人で病院へ来ていたらどんなに心細かったことかと思います。

12時、分娩室へ通される

コロナ対策として、隔離のためにいきなり分娩室へ案内されました
分娩台の上に上がり、助産師さんがコロナの検査をしたり、破水の経過を見たり、お腹にモニターをつけて赤ちゃんの様子を確認したりしてくれました。
助産師さんが二人、破水の色を見て「赤ちゃんが胎内でうんちをしているかもしれない」と話し合っていたので、胎内でうんちをしていると何かあるのかと質問しました。

「胎内でうんちしている場合、それを誤って飲み込んでしまって赤ちゃんの呼吸が苦しくなってしまう場合があるんです」

「でも、モニターで見る限り赤ちゃんは元気ですね」

"赤ちゃんは元気"とここから先、何度も言われました。
この時は実際に元気だったのでしょう。
お腹の張りがもう3〜5分間隔で来ていて、その様子を見ていた助産師さんも「これだけ見たらもうすぐ生まれる人のような状態」と驚いていました。
でも、現実にはまだ子宮口1cm
お腹は張るし痛みも感じているけれど、余裕をもって会話もできるし、まだまだ生まれそうにない。
赤ちゃんのすこぶる元気な胎動に励まされながら、少しずつ強くなる痛みに期待をしていました。

13時、分娩台の上で昼食

ちょうどお昼時の入院で、病院食の準備が間に合わなかったため、母にコンビニで昼食を買ってきてもらいました。
分娩室でぽつんと一人、昼食。
コロナの検査結果が出るまで外へ出られないとのことで、母らしいチョイスのメニューになんとなく嬉しくなりながら、のんびりと食事を済ませました。

14時頃、本陣痛開始の判断

モニターをつけ、お腹の張りを再度確認。
元々痩せ型だからかお腹の脂肪の層が薄いらしく、助産師さんたちに「子宮の形がよく分かる!」「いい張りですね!」「赤ちゃんがどこにいるか一目で分かる!」と口々に褒められて(?)いました。
赤ちゃんはとにかくよく動いて元気いっぱい。 コロナの検査が終わったら大部屋に移る予定だったのですが、3〜5分間隔でお腹が張っていること、強くはないが痛みもあることから本陣痛開始と判断され、そのまま分娩室で過ごすことになりました。

エコーで羊水の量を再度確認すると、やはり破水で結構少なくなってしまっているとのこと。
羊水の量が少ないとどんなことが良くないのか、と質問すると

「羊水の量が少ないとへその緒が圧迫されやすくなって赤ちゃんが苦しくなってしまう可能性があります。」

と教えてもらいました。
首にへその緒が巻き付いていることも分かっていたので、羊水の量はできれば減らしたくない状況でした。
ただ、エコーを見るに赤ちゃんの膀胱がいっぱいだったらしく、助産師さんからは「赤ちゃんが自然におしっこしてくれて少し増えたらいいね」と聞かされました。
エコーの後、再度内診をするも子宮口は変わらず。
一定の間隔で来るお腹の張りと痛みにはまだまだ耐えられたので、もっと早く強くなればいいと思っていました。

16時頃、スクワットをしてみる

一度家へ戻った母が入院用の荷物を持って戻ってきてくれました。
内診をしても進み具合は変わらず、助産師さんの勧めでスクワットを試すことに。
3分間隔くらいでしっかり痛みがくるので、「子宮口さえ開いてくれれば」という期待にまざって、「何で開いてくれないのか」と少しずつ焦りを感じ始めていました。

夕方から陣痛の間隔が開いていく

17時半頃にシャワー(破水しているので湯船は使えず)を済ませ、18時半頃に病院食の夕飯を食べ、19時頃に赤ちゃんの心音の確認、20時頃モニターでお腹の張りと胎動を確認して様子を見ていましたが、夜にはお腹の張りは6分間隔ぐらいまで開きが出ていました。
陣痛の強さはあまり変わらず、強くなっていく感じもありませんでした。
夕方頃に助産師さんには「このまま陣痛が強くなって出産に至る人が8割、夜になって痛みがおさまって、明日また仕切り直しになる人が2割ほどですが、2割の方という感じがしますね」と言われていたので、やっぱりか、と思っていました。

21時消灯、一時休戦

痛みに耐え続けて、少し疲れを感じ始めていました。
看護師さんに「おそらくまだ前駆陣痛だから、今晩はしっかり寝て体力を回復して、明日また仕切り直しでしょう」と言われました。
疲れていたので、出された補食は飲み物だけいただき、睡眠薬1錠もらって分娩台の上でそのまま就寝。
この時、陣痛は10分おき。
間隔は夕方からさらに開いていました。
ただ10分以内の間隔で陣痛が来ていても、話せるぐらいの余裕は残っていたので、やっぱりまだまだだったのだと思います。

明け方、痛みで目が冴えてくる

夜中の3時頃に目が冴えて眠れなくなってしまったので分娩台の上で陣痛をカウントして、呼吸で痛みを逃しながら過ごしました。
また間隔が3〜4分ぐらいに戻っていたことと、陣痛の強さが就寝前よりも強い気がしたことで、このままお産が進むのではないかと期待しました。
5時頃になっても3分間隔ぐらいの陣痛が続いていて、寝ているよりも上体を起こしていた方が痛みが楽だったため寝るのは諦めて座って過ごしました。
ただ、私は起き上がっているのが楽だったからそうしていたけれど、あとから考えたら赤ちゃんは苦しかったのかもしれません。

8時頃、さらに痛みが強まる

明け方から続いた陣痛の間隔は、再び6〜7分に開いていましたが、痛みは徐々に強くなっていました。
朝食を食べながら、途中でお腹が痛くなり、その都度食器を置いて呼吸に集中…。
鼻から吸って、口から吐いて、腹式呼吸をすると痛みが緩和される気がしました。
痛みが引いている間は普通に食べられたので、時間はかかりましたが朝食は完食。
結果的にこれが出産前最後の食事になったので、食べておいてよかったです。
朝一番からモニターをつけて様子を見ていたのですが、助産師さんに「赤ちゃん、座り姿勢はあまり好きじゃないかもしれないね」と伝えられ、基本的には寝姿勢で陣痛に耐えることに。

9時頃、子宮口が開かない

助産師さんと話す間にも陣痛が強くなる感覚があり、これはいよいよ本陣痛では?ということになりました。
お医者さんが来てくださって、朝イチの内診グリグリ。
しかし、子宮口は相変わらずの1cm、全然開く気配のない子宮口に焦りが大きくなっていました。
朝の採血の結果が出て、破水の影響か炎症の値が少し高めで、早く産んであげた方が良さそうだという話が持ち出され、陣痛促進剤の話が具体的になりました。

10時頃、陣痛促進剤投与決定

お腹はばっちり張っているのに進む気配のないお産。
破水しているためお産を急ごうと陣痛促進剤を投与していくことが決まりました
ここからは、お腹にモニター付けっぱなし状態に。
赤ちゃんの心音がずっと聞こえている状態になって安心感はありましたが、今思えばこの時点で結構大事になっていたのだな、と感じます。
赤ちゃんが起きている状態で元気なことを確認してから11時前には促進剤の点滴がスタート。

11時半、1回目の促進剤増量

30分ごとに促進剤の量を増やすと言われていましたが、赤ちゃんの様子が知りたいタイミングに限って爆睡のベビー。
揺すって起こして、なんとか元気なことを確認して量を増やしました。
陣痛はさすがにどんどん強くなっていく感覚がありましたが、呼吸に集中していればまだなんとか耐えられる感じがしていました。

12時頃、2回目の増量

2回目の増量のタイミングで、またしてもスヤスヤよく寝ているベビー。
なんとか起こそうとするもなかなか起きてくれず、ちょっと起きてきたかなー?ぐらいのタイミングで待ちきれずに増量。
子宮口は2cmほど、助産師さんから「お産をすすめるために落ち着いたタイミングでスクワットしましょう!」と提案があり、スクワットをしてみました。
しかし、やっぱり立ち上がると赤ちゃんは苦しい様子で、お腹の張り、痛みもかなり頻回に。
立った姿勢のままふー、ふー、と深呼吸をして痛みを逃すも、やはりこの姿勢が赤ちゃんに良くないらしい。
助産師さんに「赤ちゃんが苦しいサインを出しています」と言われて、スクワットを中止。 ちょうどトイレに行きたくなってきたので、そのことを話すと
「少し嫌な話をするよ」と前置きされ、

「トイレまで歩いて行って戻ってくるのも赤ちゃんの負担を考えると難しい、この部屋にポータブルの便座を持ってきます」

と言われました。
あれ、結構危険な状態なんじゃ…?とようやくここで察した私。
私を不安にさせないためか、助産師さんはずっとやわらかい言葉で話してくれて、この時も危険だとは決して言われなかったけれど、それでもさすがに危険な状態にあることが分かってしまいました。

「先生が内診したいと言っているけど、トイレは後でもいい?先にしたい?」

と聞かれ、先にトイレを希望。
本当はトイレを我慢しても内診を優先させたいほどの状態だったのかもしれません。

内診、そして帝王切開決定

分娩室内に準備されたポータブルの便座で用を足し、すぐに内診へ。
初めて会う先生と、検診の時に毎回診てくださっていた先生の二人で来てくださって、代わる代わる内診。
お医者さん二人がかりなんて、やっぱり緊急事態だったに違いありません。
難しい顔で内診をする馴染みの先生。
内診中にまた陣痛の痛みが来て、これまでにない痛みに思わず声をあげてしまいました。
内診の結果、子宮口はまだ2cmとのこと、全く進んでいないお産にもはや絶望していました
これまではなんとか耐えられた。
でも、どんどん増す痛み、それなのに進む気配のないお産に、あと何時間この苦しみに耐えなければならないのかと、先が見えない恐怖を感じていました。
その時、馴染みの先生がいつになく真剣な面持ちで

「具体的に帝王切開を考えなければいけないと思います」

と言われ、背筋に緊張が走りました。
夫に連絡がつくか確認されて、すぐに来てくれるはずだと伝えると「もう今すぐにでも来てもらった方がいいですね」と言われました。
自分で電話するか、病院から連絡してもらうか、どうするか尋ねられ、病院から連絡してもらうことに。
自分でうまく説明できる自信がなかったのと、陣痛が辛かったのと、夫と話したら泣きそうで。
そして、とにかく帝王切開の手術の説明を聞くことになりました。
激しい陣痛が来るたびに、お医者さんに説明を中断してもらいながら、話を聞きました。
そして、夫と連絡がついたことを知らせにきた看護師さんとお医者さん。
決定的な言葉は

「毎回の陣痛もかなり負担になっているので、促進剤の点滴を外しましょう」

というものでした。
自然分娩の可能性が完全に閉ざされた瞬間でした。
点滴が外されて、いよいよ後戻りできないという不安と、これ以上陣痛が強まることはないという安堵と、それでももっと頑張りたかったという悔しさがないまぜになって。
お医者さん達が分娩室から出て行って、ずっとついていてくれた助産師さんと二人になった時、「急に手術なんてこわいよね、顔がこわばっちゃったね」と言われて涙が溢れて止まらなくなってしまいました。

今思えば、健診の時から何度か可能性を示唆されてきた帝王切開
話としては聞いているつもりでも、自分に降りかかる現実として受け止めていませんでした。 どんなに難産でも、普通分娩する自分をイメージしていました。

夫は何て言うだろう。
父は、母は。

私はもっと頑張れたはずなのに、悔しい。
最後まで陣痛に耐え切って、頑張って産んで、自分のことを褒めてあげたかった。
みんなに頑張ったねって言ってもらいたかった。
それなのに…。

でも、赤ちゃんはもう限界だった。
産んであげなくちゃ。
私がお腹を切って、外に出してあげなくちゃ。
へその緒が首に絡んで、破水で羊水が少なくなって、苦しんでる。
くよくよしていてはダメ。
お母さんになるんだから。
手術は怖い。
傷だって残る。
でも、もうやるしかない。

働かない頭でずっとそんなことをぐるぐる考えて、現実に打ちひしがれたり自分を鼓舞したり、考えることが多すぎて何を考えているのか、何で涙を流しているのか自分でも分かりませんでした。

続き(手術開始前〜術後・産後について)は後編へ。↓↓
破水スタートからの緊急帝王切開だった私の初産の記録【後編】 - ぷりぷりブログ

妊娠38週4日、へその緒グルグル…。

妊娠38w4d、今日は健診でした。

シクシクと生理痛のような下腹部痛は時折感じますが、まだまだ陣痛が来る気配なし。
少しでもお産が進んでいれば…と思っていましたが…。

エコーの時間がいつもより長くて、なんだか見慣れない画面を先生がじっと見ていて…
何が映されているのか分からず、黙って見ていたのですが、お腹をしまって椅子に掛け直したら

「へその緒が首に2周巻きついています」

え、え、えーーーー!!


肺で呼吸しているわけではないから、絡まっているからと言って必ずしもいけないということはないけれど、もしも赤ちゃんにストレスがかかっているようなら入院も考えなければいけない(=促進剤で出産を早める)と言われて、急遽NST(ノンストレステスト)を受けることに

早く生まれてほしい気持ちはあったけど、そんな形での入院は想定してなかったぞ…!

検査の結果「よく動いているしこのまま様子を見ましょう」ということになりましたが、心配なので早く出てきてほしいです😅

二重巻きでも経膣で普通に産めるそうなので、思い詰めすぎず穏やかに赤ちゃん自身のタイミングを待ちたいと思います。

妊娠37週5日、足のむくみ改善ストレッチ!

臨月に入った頃から、足のむくみが悪化
特に足の甲の腫れ上がり方が尋常じゃなく、本当にひどい時にはぐっと指圧するとそのまま元に戻らないで指の形が残るほど。
元々、手の甲や足の甲は骨張っている方だったので、こんなに"クリームパン"のようなパンパンの足になるとは思っておらず、ビックリしていました。

産休に入ってから運動量が減ったことも関係あるのだろうと思いながら、季節柄なかなか外を出歩く気にもなれず、ウォーキングはたまの買い物ついでに少し歩くぐらい。
見かねた夫が、さすってくれたりしましたが、どんどん悪くなっているように感じていました。

…が、ここ数日、かなりスッキリしてきました😳✨

理由はハッキリしていて、毎晩寝る前にストレッチをするようになったから
夫も協力的で、決まった時間に二人で寝室に移動して、一緒にストレッチをし、最後にお互いに肩や足のマッサージをして就寝。
これがとても良かったようです。

特に、前回の検診で「難産になるかもしれないからストレッチを」と言われて、新しい股関節周りのストレッチのメニューを取り入れてから、その効果がてきめんに現れました。

この動画を参考にしたので、むくみに悩んでいる人に見てほしいです!

ストレッチ以外、特に生活を変えたりはしていないし、着圧ソックスのようなむくみ対策グッズは暑いし苦手だから使っていないので、ストレッチの効果だと思います。

しばらく行方不明だった足首(ほんとに、足首どこ行った?と思ってました🤣)が帰ってきてくれて嬉しいです。

それに、むくみがこんなに目に見えて改善したということは、その分だけ安産に向けての体づくりが進んだとも思えて、気持ちも前向きになってきました。

マタニティライフもあと少し。
柔軟な股関節を作り上げて出産に臨めるように頑張ります!