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前期破水→陣痛促進剤→緊急帝王切開になった私の初産の記録【後編】

前期破水からの緊急帝王切開だった私の初産の記録、後編は手術開始前〜術後(産後)までの話です。
今でこそ少し元気になりましたが、帝王切開を経験して体にも心にも傷が残った私の思いを出来るだけ詳細に書き残したいと思います。

帝王切開の手術について知りたい方や、身近に出産を控えている人がいらっしゃる方、私と同じように産後を迎えられたお母さん達に読んでいただきたいです。

破水して入院〜緊急帝王切開が決定するまでの話は前の記事で紹介しています。↓↓
破水スタートからの緊急帝王切開だった私の初産の記録【前編】 - ぷりぷりブログ

13時頃、手術の支度を済ませる

夫が到着した時点で時刻は13時過ぎ。
夫も私と同様に手術についての説明を受け、同意書にサインをしたということでした。
緊急だったので、手術の開始時間がすぐには決まらず、少しの待ち時間がありました。
その間、陣痛が来るたびに腰をさすって一緒に呼吸をしてくれた助産師さん。
苦しそうな私に「今日がお誕生日ですよ」「あと少しですからね」「よくがんばったよ」と声をかけてくれるその声かけで、ボロボロと涙があふれて止まりませんでした。
「先にお腹の毛を処理しておきますからね」助産師さんがシェーバーで私の下腹部の毛を取り除いて。

「あとでここにテープを貼らなくちゃいけないからね」

「お母さんの勲章だからね」

「一緒にお風呂に入ったら、あなたはここから出てきたのよ〜って話してあげてね」

子供と過ごす未来をイメージして、手術へ向かう覚悟を自分なりに固めていました。
手術自体への恐怖よりも、家族がどう思うのかの方が怖かったように思います。

13時半、手術室へ移動

13時半頃、手術開始の目処がたって、車椅子に乗せられ、手術室へ移動することになりました。
決まってからは本当に早かったです。
手術前、最後に口にしたのはペットボトルにほんの少し残っていた麦茶でした。
お昼ご飯は食べられず、術後6時間も何も食べられないとのことで、夕飯も食べられないことが分かっていました。

分娩室から手術室へ向かう通路に、夫が待っていました。
本来なら、コロナ対策で出産前も出産後も退院までは会えないはずだった夫。

何を言われるか怖かったのと、何を言ったらいいかわからなくて、会いたかったはずのその顔を直視することができませんでした。

「大丈夫だからね」

「落ち着いて」

私の肩に手を置いて、夫はそんなふうに言いました。
夫の力強い励ましの言葉を聞いても、私は頷くのがやっとの状態でした。

手術室の前の廊下で、麻酔科の先生から麻酔についての説明を受けました。
夫と別れてから、また涙が溢れ出していたのと、陣痛が来るたびに呼吸に集中しないと苦しかったのとで、何度も中断しながら話を聞きました。
どのような麻酔を使うのか、どんな副作用があるのかなど丁寧に話してくださり、同意書にサインをしました。

14時前、手術開始、麻酔

手術中は、もう何もかもが現実ではないみたいでした。
手術室へ入り、あれよあれよという間に台の上へ寝かせられ、タオルをかけられ、服を脱がされ、両腕は広げた状態で固定されました。
室内は煌々と照らされて明るく、お医者さんや看護師さんの会話も妙に明るい調子でした。
先生方があれこれ忙しく準備をしながら、私の周りで看護師さん達が手術に関係ある事無い事、代わる代わるいろいろな話をして、涙でぐちゃぐちゃの私の緊張をほぐそうとしてくれたのがわかりました。

最初は麻酔でした。
横向きに寝かせられ、背中を丁寧に消毒して、背中の真ん中あたりに針が刺さったのがわかりました。
鋭い痛みの後に、スーッと背中に冷たいものが流れ込んでくる感覚。
その後は仰向けになって、時間と共にどんどん体がじんわりと温まり、正座をした後の脚のような痺れが胸より下全体に広がっていきました。
麻酔の効きを確認するために先生がお腹や胸の下にアルコール綿で触れました。

「触られている感覚は分かると思いますが、冷たくはないですか?」

確かに冷たさは全く感じませんでした。

「ここはどうですか?」

と今度は鎖骨下あたりを触られると、しっかり冷たい感覚があり、麻酔が効いている部分とそうでない部分の違いがはっきりと分かりました。
もう足なんか指一本動かせませんでした。

14時半、開腹と誕生

手術が始まってから私の頭の辺りに立っていた看護師さんに「今の状況、聞きたいですか?」と確認され「聞くのは怖いので」と断りました。
「知りたい」と答える人もいるのだそう。
自分の臆病を実感しましたが、私にそんな余裕はありませんでした。

触られている感覚は残るとのことで、お腹を切られているのも分かってしまうのか、とビクビクしていましたが、そんなことは分かりませんでした。
ただ、体をぐいぐい引っ張られているような感覚だけが強くあって、自分で制御できなくなった下半身が左右に振れているような感じがしました。
それから、
助産師さんの「もうすぐよー!」
お医者さんの「出ます!」
の声が聞こえて

「「「おめでとうございます!」」」

手術室中の人が声を揃えてそう言ったあと、数秒遅れて我が子の泣く声が聞こえました。

手術が始まる時になんとか引っ込めたはずの涙が、また私の目尻を伝っていました。
ただ、嬉しかった。

我が子を抱き上げた助産師さんが、一瞬だけ私の方へその姿を見せにきてくれて「綺麗にして戻ってくるからね」と足早に去っていきました。
同じ手術室内で、我が子は体の外をきれいにしてもらったり、体内の羊水を吸引してもらったりしていて、その間中、力一杯泣く声が聞こえていました。

元気に生まれてきたんだ。
無事に産んであげられたんだ。

よかった。
本当によかった。

さまざまな処置を終えた助産師さんが、再度息子を抱いて私の枕元へ来てくれました。
手術中だから胸に抱いてあげることはできなかったけれど、助産師さんが顔と顔が触れ合う距離まで近付けてくれました。

「かわいい」

思わずそう呟いていました。
涙が溢れて止まりませんでした。

本当に辛かったのは手術後半

助産師さんは「先に母子センターに戻ります」と告げて、我が子を連れて手術室を出て行きました。
手術室を出れば、夫が待っています。
息子と夫の対面に思いを馳せました。

しかし、私の手術は続きます。
いわゆる後産と、開いたお腹を閉じる作業が残っていました。
産声を聞くまでは期待もあってか、何ともなかったのですが、手術の後半戦はかなり堪えました

まず、胸に強い圧迫感が出始めて息が苦しいと感じました。
本当なら身をよじって苦しみから逃れたいのに、麻酔が効いているので体が少しも動かず、苦しみを真正面から受け止めるしかありませんでした
感覚が残っている胸から上の部分だけで、ガタガタ震えていました。
その後はとにかく気持ち悪くて、苦しくて、手術はいつまで続くのか、このまま死んでしまうのではないかと本気で心配をしました。
「胸が苦しい」「気持ちが悪い」と必死で訴え、気持ち悪さを除く薬と眠くなる薬の点滴を入れてもらいました。
薬が効くまでの間も本当に長く感じて「こんなに辛いなら二度と妊娠、出産なんてするものか」「こんなことは二度とできたものではない」などと考えていました。

世の中の全てのお母さんを本気で尊敬した瞬間でした。
私を含め二児を出産した自分の母に対する思いも、この手術の苦しみを経験したことですっかり変わりました。

苦しむだけ苦しんだあと、だんだん薬が効き始めて胸がスーッと軽くなりました。
ぼんやりする頭で「薬ってすごいなぁ…」「これが医学の力なのかぁ…」なんて、妙に冷静に考えたことが記憶に残っています。

手術を終えて

手術後の記憶は曖昧です。
手術室を出て、母子センターへ向かう道中で夫に会うことができ、少し会話をしたはずですが、薬のせいか細かいことはあまり覚えていません。
部屋に戻ってから助産師さんが私のカメラで動画を撮影してくれたと聞きましたが、それも見ることなくすぐに寝入ってしまいました。
足を全く動かせず、完全に寝たきりの状態で、私の場合は「産後」というよりも「術後」なのだと実感しました。

翌朝だったか、執刀医の先生が診察をしてくださった後、最後にかけられた言葉が心に残っています。

「入院されていてよかったです」

その言葉が全てだったのだと思いました。
もしも、健診が別の日だったら。
破水に気づかなかったら。
入院していなかったら。
私の赤ちゃんは、生まれてこれなかったのかもしれない。

きっとそうやって、少しの違いで、辛い思いをした妊婦さんもいるのだと思います。

私は幸運だった。
破水が分かって緊急入院をしたから、先生や助産師さんや看護師さんたちが丁寧に見守り、向き合ってくださった。

だから、我が子は生まれてくることができた。
本当にありがたいことだった、と思いました。

やっぱり自然分娩で出産したかった

とはいえ、産後すぐの私の心は傷ついていました
どうしてこうなったのだろうと思うだけで涙が止まらなくなり、カーテンで仕切られたベッドでお腹の傷の痛みに耐えながら泣いていました。
自分の一つ一つの行動を振り返り、あれがよくなかったのではないか、これがよくなかったのではないかと、自分を責める気持ちばかり膨らんでいました。

夫とは「子供は二人欲しい」と家族計画を語り合っていました。
具体的な時期まで考えていました。
それなのに手術中、あまりの苦しさに私ははっきりと「もう二度とこんなことはできない」と思ってしまったのです。
死を覚悟するほどの恐怖と苦しみは、あの時初めて味わいました。
手術が終わってからも、夫にどう伝えたらいいだろうと、そんなことばかり考えていました。
手術前の不安や葛藤、手術中の苦しみ、術後の痛みは私にとって大き過ぎたのです。
夫に伝えたら、失望されるだろうか。
もう愛してはくれないのではないか。
考えれば考えるほど、悲観的な想像ばかり膨らみ、この先の未来が怖くなりました。

次の出産があるならば、帝王切開になるでしょう。
陣痛はないかもしれませんが、それでもこの手術に私はもう一度耐えられるだろうか、と自問自答しました。

そして、やっぱり自然分娩、経膣分娩を経験したかったとも思いました。
陣痛だけでも、とても辛かったけれど。
どうしても湧き起こる「私がしたのは"本当の出産"ではなかった」という思いが、自分の心を傷つけました。
"安産"じゃなかった。
"いいお産"じゃなかった。
母や周りの人たちが当然のように経験してきたことを、私はやり切ることができなかったのだ劣等感自己否定感のようなものに苛まれました。
とにかく、途中で頑張ることを放棄させられたような気がして、悔しかったのです。

そして、帝王切開になったことを知った家族、親戚からも、そのように責められるのではないかと恐怖に怯えていました。
何度も執刀医の先生からかけられた「入院されていてよかったですね」という言葉を思い出しては、これでよかったのだ、私たち親子にとってはこれが最善のお産だったのだと、自分に言い聞かせて納得しようとしました。

お産のことを考えては涙が出てしまうという状態は、退院してからもしばらく続きました。

体の回復と日々の喜びの中で

退院してすぐは、一度寝転ぶと寝返りも打てないし、腕の力を使わないと起き上がれないし、くしゃみでもしようものならもはや命懸け、というような状態でした。
階段を昇り降りすることすら大変で、自分の日常生活さえままならないのに、赤ちゃんのお世話なんて本当にできるのだろうかと心配でたまりませんでした。
授乳をすれば、傷口のある子宮が収縮して、それはそれは痛かったです。

でも、育児をする中で自然に体を動かしていれば回復も早く、入院中よりも急激にできることが増えていく感覚がありました。
体が元気になれば、自然と涙も出なくなりました。

そして、何よりも生まれたばかりの息子の可愛さが励みになりました
何をしていても可愛い。
幸いとてもよく寝てくれる子で、お世話が想像していたほど大変ではなかったことも、術後の私にとってはありがたいことでした。

今すぐに二人目を、と言われてしまうとさすがに慄いてしまいますが、月日が経てばまた妊娠、出産に前向きになれる日が来るような気がしています。
もちろん、手術は怖いのですが、それ以上に赤ちゃんは可愛いです。

偶然が重なり合って帝王切開になった

私が帝王切開になったのは、

・早々と破水してしまったこと
・そのせいで羊水の量が少なくなったこと
・へその緒が首に2周巻き付いていたこと
・破水の影響か炎症の値が高かったこと
・陣痛促進剤を使ってもなかなか子宮口が開かなかったこと
・子宮口が全開大になるまで待てない状況だったこと

様々な要因の重なり合いの中で、帝王切開という選択がなされました。
最終的には

前期破水(陣痛開始前に羊水が流れ出ること。妊婦と胎児の感染リスクが高まる)
微弱陣痛(陣痛が弱く、分娩が進行しない状態のこと)
胎児機能不全(分娩中に胎児の状態に正常では ない所見が存在した)

という三つの診断がついていました。

私の経験は決して特別ではない

自分が緊急帝王切開を経験してからネット上を調べてみると、私が経験したようなことは決して珍しくないことなんだと気づいて驚かされます。
当然、私以上に大変な思いをして出産している人もたくさんいるし、友達にはあっけらかんと帝王切開だったからさぁ〜」なんて話す子もいます。
本当に、驚くべきことだと思います。

出産というものを経験して、本当の意味で初めて分かったことがたくさんありました。

世界中の全ての命の尊さ。
分かったつもりでわかっていなかった気がします。

なぜなら、全ての命の誕生に物語があるに違いありません

我が子のように、へその緒が絡んで、破水して、緊急帝王切開で生まれた子だって、何十億もある命の物語の中の一つでしかなくて。
決して特別なものではありません。

きっと、全てのお母さんが我が子の出産についての物語をもっているのだと思います。

そして思う。
世界中、全てのお母さんは、本当に偉大だと。

そして、出産というものには、その喜びの裏に女性だけが背負う大きなリスク、恐怖があるということも。

出産にリスクが伴うことは分かっているつもりでした。
でも、甘かった
「出産は命懸け」と言葉では見たことがあっても、深く考えていませんでした。
出産の"光の部分"しか見えていなかったと、振り返ってみて思います。

嬉しいばかりではない。
出産したことがなかった自分には、分からなかった。
ましてや男性には、どんなに説いても分かるまい、と思いました。
これは蔑視でもなんでもなくて、純然たる事実だと思います。

私の父も、私の夫も、本当の意味では分かっていないと思います。

産後も、夫婦で協力していくために

退院後、夫からすぐに二人目の話を持ち出されたときに、すごく温度差を感じました。
お産の大変さも、きっと言葉では説明し切れない。
私にとっては、文字通り「決死の覚悟」だったのです。
夫とは、子供が誕生した喜びは分かち合えても、そこへ向かう恐怖や痛みや不安や葛藤は共有できないのだと思いました。

また、これから始まる一人目の育児に対しての不安も、夫は私ほど強くは感じていないのだな、とも思いました。
今目の前にいるこの子をきちんと育てていけるのか、その自信もないのに次の子のことなんて考えてはいられない、というのが産後の私の正直な思いでした。

かく言う私も、一人目を産む前から二人目のことを考えていました
子供は二人がいいなとか、兄弟は何歳差がいいなとか。

産んでいないからこその無邪気さでした。

夫は、産後の今も無邪気に二人目への思いを語れる点で、やっぱり私とは違うのだと痛感しました。

でも、だからといって夫を責めてはいけないとも思います。
どうあがいても、出産は女性にしかできない経験だから。
本当の意味で分かりあうことは難しいということをお互いに理解した上で、関わり合っていくしかないのだと思います。

わがままなようですが、男性や、出産を経験していない女性には、簡単に分かったようなことを言わないでほしいと思ってしまう一方で
分からないということを理解した上で、分かろうとすることを諦めず、寄り添う姿勢は見せてほしいとも思います。

私は、夫に対して手術に至るまでの経緯や、手術中のこと、術後に毎日泣いていたことなど、一生懸命話して伝えました。
「二人目なんて考えられない!」と思ったことも伝えました。

「どうして分かってくれないの!」と思わずに、分かってもらうための努力をしなくちゃと思ったからです。

でも、産後すぐには言えなかったと思います。
いつかまた出産について前向きになれる日が来るかもしれないと思えるぐらいに心が回復し、出産のことを思い出しても涙が出なくなるまでは、言えませんでした。
「辛かった」「苦しかった」「不安だった」全部過去形で話せるようになるまでは無理だった。

産後、息子があまり泣かずよく寝てくれる子だったこと自分自身の身体の回復が割合早かったことも幸いして、私は心の健康を取り戻すのも比較的早い方だったと思います。
だからこそ、わりと早い段階で夫に気持ちを話すことができ、それでスッキリした部分も大きかったと思います。
産後しばらく経っても心身の疲弊が続くお母さんにこそ、周囲の人のサポートが絶対に必要だと思いました。

赤ちゃんはいいぞ

息子が生まれて、一番に思うことは

「赤ちゃんはかわいい」

これに尽きます。

出産の苦労話を散々書いてきましたが、やっぱりそれ以上の喜びがあるのもまた事実。
息子のおかげで、毎日が充実しています。
毎日どんどん大きくなる息子から目が離せないし、だからこそ今を大切にしようと思えます。

今しかない今を、楽しみたい。

夫と息子と、3人で。